苦い涙「愛ではない、所有したかっただけ」

映画監督ピーター・フォン・カントは恋人と別れ落ち込んでいた。そんなとき親友で大女優のシドニーがアミールという青年を連れてやって来る。一目惚れしたピーターは、彼を自分の家に住まわせ映画業界で活躍できるようお膳立てしてやるのだが…。

©2022FOZ-France2 CINEMA-PLAYTIME PRODUCTION

ニュージャーマンシネマの鬼才ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(1972)をフランソワ・オゾン監督が翻案。元は女性ファッションデザイナーの同性との恋が、本作では男性映画監督のそれへと書き換えられている。

原題 Peter von Kant

まず、元となる作品『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の原題はDie bitteren Tranen der Petra von Kantでペトラは女性デザイナーの名前なので、邦題は直訳そのままである。
次に、本作の原題は主人公の映画監督の名前のみになっている。一方、邦題は元の作品から来ていて『苦い涙』に。

フランソワ・オゾン監督でもリメイクはパスしようかなあと思っていたのだけれど、気づいたら観ていた。
で、映像はもちろんのこと、台詞が何より好みだった。元となった作品も観たいけれど上映スケジュールが合うかな。(これを書いたのはかなり前で、結局行けなかったことを追記しておく)
台詞はどれくらい変わったのか、フランソワ・オゾン監督版とファスビンダー監督版を比べて確かめたかったな。

太っちょのおじさんがかわいく見えてくるマジック

主人公ピーター・フォン・カント演じるのはドゥニ・メノーシェ
『ジュリアン』ではストーカー化した夫を演じて、エスカレートする様が鬼気迫っていた。一転して今回は一目ぼれした青年に入れ込んでいき、惚れた弱みで劣勢に追い込まれていく姿が情けなく可愛らしさすら感じた。

ピーターは映画監督として成功しており、離れて暮らす娘もいる。なのに新しい恋に形振り構わずのめり込む。この没入ぶりはちょっと羨ましい。彼の世界でアミールは最優先、それ以外ぞんざいな扱い。誕生日を祝いに来てくれた自分の母親、娘、親友に暴言を吐きまくる。この身勝手ぶりも結構好きだった。

物語は一人の男が恋に落ち、恋に破れ、我に返るという王道。だが、台詞がとにかく「これ私書いたっけ?」と思ってしまうほど、色々言い切っていてスッキリする。
印象に残った台詞とそのシーンを振り返りたいと思う。

「正気を失うような恋をしたのよ」

親友で大女優のシドニーが、ピーターの娘に状況を説明する台詞。
シドニー演じるのはイザベル・アジャーニ。久しぶりに見たけど貫禄十分だった。そのうちカトリーヌ・ドヌーヴみたいになりそうね。

シドニーはかつてピーターが監督する映画に出演しており、それで名声を得たのかはわからないが、両者は持ちつ持たれつといった間柄のよう。会うのも三年ぶりだったか。まあ何年離れていても時空を超えて話せるのが友達だと思う。

ファム・ファタール(運命の女性)ではなくこの場合オム・ファタールとでも言うべきアミールは、くるっとした巻き毛にどことなく宗教画の天使みたい。体を鍛えている場面があるのだけれどなんかつるむちっとしていて苦手だ。さておきピーターはのめりこむ。彼を一躍業界の寵児にさせる。ところがどんどんつれなくなっていく。まあ、そういうものだよね…。
嫉妬に狂ったピーターが、部屋の壁一面に飾られたアミールの巨大フォトグラフの目の部分を燃やすのだけれど、めらめらと広がる炎が美しかった。

満たされないピーターは誕生祝いに来てくれた娘、母親、親友に当たり散らす。暴言の度が過ぎる。けどどこかおかしみがあり納得してしまう。

「髪の毛一本がお前たちより愛おしい」

このくだりには思わず吹き出す。いや実際そうかもしれないけど、ね。娘の前で言うかって。
半狂乱になったピーターからはすさまじい暴言が飛び出してくる。
「繁殖を伴わない情交は純粋だ」
「夫の次は息子に養われた売春婦じゃないか」

「女優面しやがって俺の仕事がほしいだけ」(ここはニュアンスだけ)
挙げればキリがない。キツイ言葉なんだけど、いちいち頷いてしまう。世間的には共感したらまずいのかも、なんだけど(そんなの知るか)。
で、音沙汰のないアミールがどうやらシドニーとは連絡を取っているらしいと疑い、関係を問い詰める。

「彼と寝ない人間がどこにいるの?」

さすがのシドニーの返しだった。
で、その後、怒鳴り散らして放心状態のピーターにアミールから電話が掛かってくる。
お誕生日のお祝いの後、今から行こうか?と言われるけれど、ピーターは断る。別の日を提案されても、それもまた断る。ようやく恋から目が覚めた、というか呪縛から逃れ、立ち上がろうと踏み出すことができたピーターにちょっとほっとする。

「優しくしてあげた?」

電話ボックスから車の中に戻ってきたアミールに、そう声を掛けたのは後部座席隣にいる実はシドニー。
なんかすべて手の上で踊らされていたような。
ピーターに断られてちょっと不服そうな顔つきのアミールが印象に残る。うざったく思えても、いざ相手が離れて行くとなるとこういう反応をするのか、って。

「愛していたのではなかった。所有したいだけだった」

そして今回の恋でピーターがたどり着いた結論が、これ。
相手を思い通りにしたいと思った時点で、恋は純粋じゃなくなり迷走するのかもしれない。

私は所有したくない

『所有』という言葉には対義語がない。だが体感で言うなら『自由』を挙げたい。できることなら何物も何者をも、所有したくない。逆もまた然り。所有には支配下に置くというイメージがつきまとう。
所有は帰属につながり、足枷になる。自分ですらままならない「私」を、どうして他人の「あなた」が所有できるだろうか。あなたが私に首輪を付けなくとも私は傍に居るのに、そんなことを思った。

予想外に鑑賞後いろいろ考えることになった面白い作品だった。

「カール、シャンパンを!」

おまけの台詞。
ピーターの仕事場兼住居である邸宅には何くれと無く世話してくれるカールという助手がいる。
カールはファッション業界なんかに居そうなタイプの男性で、すうっと動く所作が素敵。ピーターに片思いしているのかなというようなところもあったりして、その気持ちをピーターは利用しているようにも感じる。
カールはどんなとき呼びつけられても、例えばピーターがベッドで恋人と居ようとも、一切表情を変えない。
なのにラスト、アミールを失ったピーターが、カールを対象にしようとした途端、ピーターの顔に唾を吐きかけ出ていくのだ。あっぱれ、カール!