RRR「装填」「狙え」「撃て」

1920年、英国植民地時代のインドが舞台。ラーマは大義のために英国警察に所属し機が熟すのを待っている。もう一人の主人公ビームは横暴な英国人に攫われた村娘を助けるため立ち向かうことに。二人は運命に導かれ親友になるも、互いの立場から敵対することに。二人は最後に何を選択するのか…という物語。

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3時間越え全く苦にならずのS.S.ラージャマウリ監督作品。観客が満足するだろうという線を軽々と越えてくるサービス精神に脱帽。
ドルビーシネマで観るのにぴったり。+600円なんて安いと思える。一週間限定のリバイバル上映は平日満席。面白かったー。
入り口で券をもぎるとき、ポスターをもらった。ちょっと大きめ。えー、知ってたら筒かなんか持ってきたよと思いつつくるくると丸めてそうっと鞄に。周りの人もみんなくるくるやっていた。折り目つけたくないもんねー。思いはみんな同じか。

原題RRR

タイトル一緒。
S.S.ラージャマウリ(監督)、ラーム・チャラン(ラーマ)、NTR Jr.(ビーム)の名前からの仮題だったとか。
英語ではRise, Roar, Revoltで、テルグ語・タミル語では怒り、戦争、血。
章立てではStory,Fire,WaterのRが強調されていた。

英国が絶対悪

英国総督の妻が「血だまりを見たい」と言ってとげとげの鞭を差し出す最高に嫌な奴。ラストは自分が流した血で血だまりを作るという爽快!?な展開に。嫌な人間は嫌な最期を遂げるというね。インド人がインド人のために作った映画が世界的に受けたわけだけれど、これ英国でもどんな感じで受けたんだろうか。気になる。

ナートゥが頭の中で止まらない

インド映画と言えばダンス。本作も踊りまくるシーンが流石。これ片足でひたすらリズム刻んでるよね。体力!
ナートゥ・ナートゥはテルグ語でダンス・ダンスという意味。
ストーリー的には初見であれだけ踊れる英国人ジェイクもすごい。

Netflix Philippinesより

二人の主人公

冒頭、英国警察ラーマが柵の向こうで暴動を起こすインド人群衆を単独で制圧する。そのアクションに持っていかれる。
一方で英国総督の妻に買われた村娘を取り戻すために伝説の男ビームが動き出す。熊と戦うのはあり得そうだけど森の中でなんと虎と戦うよ!
インド的には二人は二枚目(敢えての表現)という位置づけなのだろうか。ビームに関しては気のいいおじさんにしか見えないけど…。

あれこれ備忘録

この映画は楽しすぎたので、あとできちんと感想を再構築しようと思っていて時間が経過してしまった。もう忘却との戦いなので、メモに残したのをそのまま残しておく。

殴り込みシーン

トラックから動物たちが一緒に飛び出してくる。斬新。

物語の回収が美しい

飽きない脚本。強引さがあまりない。

アクションの決めポーズ

虎と戦うの然り、バイクを受け止めて投げ飛ばすの然り。躍動感すごい。わあ!となる決めがたくさんあって楽しい。

結構な怪我した人も死なない

何回かラーマ死んだよな…と思うシーンがあったけど死んでなかった。ほっ。冒頭村で娘を攫われる母親絶対死んだと思ってたのにラストで元気にしててよかったけど、なんじゃそりゃーって。

組体操みたいなの

こういうの人口の多い国でよくあるよね。なんでだろ、集団心理的な?

美人は鼻輪も美しい

ラーマの許嫁、シータ。インド映画に出てくる女優は本当に絶世の美女。

足を怪我したって合体して戦うからへっちゃら

それより前のシーンで肩車してスクワットしたり、サンドバッグをぶち破ったり。お約束のように強い男が描かれるのだが、ちっとも気にならない。なぜなら既に超人の域に入っているから。

「装填」「狙え」「撃て」

ラーマが父から教わったこと。自分の領地を守るための武器を手に入れるために、英国警察に潜り込み、出世し機が熟すのをひたすら待っていたのだった。ここで説明しておくと、ビームは村娘を奪還しに英国総督を狙っており、ラーマは英国警察に所属しているため守らなきゃいけない立場にいる。ラーマは警察で出世し実は武器を横流しして英国と戦うというその大義のため、囚われのビームを見殺しにするのか選択を迫られる。
ビームのお世話になっている家に呼ばれて食事をしたとき、左手で食べて注意されるビームを見て懐かしそうな顔をするのは故郷の弟(死亡)を重ねていたんだな。

「読み書きを教えてくれ」

ラストのビームがラーマに言う台詞。やはりすべては教育からなのだな、と改めて思う。
二人ともおじさんにしか思えず年の差の違いなど分からないのだが、ビームは出会ったときからラーマを兄貴と慕っていたのは、ラーマの部屋が本に囲まれておりインテリっぽい印象があったからなのか。

独立戦争の英雄たちがエンドロールに

ラーマとビームも実在の人物。実際、二人は出会わなかったけれど。

爽快感と共に劇場を後にする。人は物語を欲しているのだな、とつくづく感じた。
なぜ違いばかりに着目して、差別しようとするのか。相手が分からないから怖いのか。共通点に目を向けて、良いところを認め合いたいと思う。それがたとえ綺麗事に聞こえようとも。