ウィ、シェフ!「だって僕らは、チーム!」

カティは有名シェフの下でスーシェフをしていたが、レシピを改ざんされて大喧嘩、店を飛び出す。自分の店を持つには資金が足りず、ようやく見つけた働き口は移民の少年たちの自立支援施設。厨房には満足な道具もなく、粗末な食器に缶詰ばかり。食事らしい料理を出そうとするが時間も人手もないと施設長に訴えると、ならば少年たちを調理助手にしてみたらと返される。片言の彼らに料理を教えていくうちに、人付き合いの下手なカティも変わり始め…。

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難民に焦点を当てた映画は観るのがしんどい。けれど見なくてはいけない気がして、年に数本は選ぶ。『君を想って海をゆく』を観てから、とりわけ仏の難民問題は気にかかる。本作も仏映画。

原題 La Brigade

レストランの厨房で働く人たちを、仏語でBrigade de cuisine(ブリガード・ド・キュイジーヌ)、料理団と呼ぶところから題名はきてるのかな。それぞれの役割、作業責任が明確化された集団を指す。

brigadeの意味だけなら、軍隊用語で旅団。陸軍編成上の単位の一つ。師団>旅団≧連隊のようなイメージ。
英題はkitchen brigadeで、邦題は料理団での返事は必ず「ウィ、シェフ!」なのでそこから。

「彼らを送還したくないんだ」

少年たちは家族から離れて一人入国し、経済的な成功を収める(些少な仕送りもあればサッカー選手になって大金を手にする等)という目標がある。だが現実は厳しく、道を外れる者もいる。町なかにたむろするそういった少年たちに、施設長は声掛けして回っているがキリがない。
年相応の人格を持つ一個人であっても、思うように仏語が話せずコミュニケーションがままならぬという一点で蔑ろにされる。憤りを覚えるが、これは致命的。意思表示ができなければ、それをないものとされるのは当然と言えば当然。自国なら保護者の庇護の下にいられたはずの彼らは、前も後ろもわからぬまま社会に放り出されている。

少年たちには時間がない。18歳になるまでに学校に在籍するか、就職していなければ強制送還される。劇中に身分証明書の年齢を疑われ、年長の少年たちが骨密度検査を受けるシーンがあって衝撃を受けた。そこまでされるのか、と。しかしそうまでしないと、国のシステムも維持できないのだろう。

「僕らは、チーム!」

カティの手伝いをするうちに、少年たちは料理用語を覚えていく。教室では何があっても返事は「ウィ、シェフ!」というのに最初反発していた彼らも、次第に嬉々として繰り返すようになる。そしてそれは自らが帰属する集団への結束力をもたらす。異国で彼らは居場所を、ささやかな幸せを見つける。

「あなたたちにとっての、プルーストのマドレーヌは?」

中盤、クラスの生徒たちをカティは自身が勤めていたレストランに招待する。喧嘩したシェフがいないときを狙ってね。そこでレシピを考案したパイプオルガンを象った前菜(確か)を注文し、思い出を語る。実はカティは施設育ちで、そこの寮母さんが料理を教えてくれて「あなたは才能があるわ」と言ってくれたのだった。

誰しも影響を受けた言葉があると思う。その場で構えたミットにズドンと収まるようなものから、後になってそういえばあのとき…と思い当たる節のあるものだったり。
私にもいくつかあるが、その一つは高校の生物の先生の「昨日よりケンメイでありなさい」という言葉だった。いつも白衣を着て、前髪が一束白くなった先生で、たぶん先生は『懸命』という意味で言ったのだと思うのだけれど、当時の私は『賢明』だと受け取っていた。だから毎朝目覚めるときは昨日の自分よりも1㍉でもいいから進歩しているか、今でも考える。賢明の方が自分にはしっくりくる。

少年たちは互いに故郷の料理を思い出話と共に披露する。そこには彼らが一個人として確実に生きてきた証があって、見ていて泣けてきて困った。

後半カティは料理勝負で有名なTV番組に出場し、全国放送の機会を得る。決勝の日、実際はカティではなく、少年たちが自己紹介しながら自分の故郷の料理を出す。カティの使命は現状を社会に知ってもらうことだった。施設に料理人の育成コースを作るために、周知し、寄付を募る。

ラスト、施設の中に育成コースが作られカティはそこで教師をしている。壁にはシェフ姿の卒業生や送還された生徒たちの写真が並んでいる。省略が効いていてテンポ良く話が進む。観てよかった、良作。