わたしは最悪。「じゃあ落ち着いて50までコーヒー淹れてれば」

ノルウェー映画。
主人公ユリヤが理想と現実の狭間で悩みながら大人になっていくお話。プロローグ、エピローグの間が12の章立てになっている。
感想メモが消えたのでちょっと記憶があやふやなのだけど、ラブストーリーの側面を持ちつつ、大人になることがメインだった印象

©2021OSLO PICTURES/MK PRODUCTIONS/FILM I VAST/SNOWGLOBE/B-Reel/ARTE FRANCE CINEMA

原題 Verdens verste menneske

英題はそのまま The Worst Person in the World で世界で最悪な私。邦題は…。タイトルに☆とか記号入れたり句読点使ったりってよくあるけれど、よっぽどその効果を考えた場合以外はうまく機能していないと思う。
さておき。誰しも「自分って最低」とか「最悪だな自分…」って思って深く沈んで停滞することってあるね。

主人公と二人の男たち

【ユリヤ】
冒頭、成績優秀だからと医学部に進んだユリヤは、本当にやりたいのは心理学だとすぐさま進路変更し、いや違う写真だわと更なる進路変更をしていく様を見せられる。器用貧乏というか、飽きっぽいのか、満遍なく能力があるが故に(突出した能力がないのかもしれない)自分の進路を決めきれず30歳になってしまう。進路変更するたびにそのときの自分にふさわしい男性と付き合ってきたのだが、同棲中の恋人が近頃やたらと家庭や子供の話をしてくるのには違和感を覚える。
【アクセル】
成功しているグラフィックノベル作家。ユリヤの年上の恋人。過激な作風が受けて作品が映画化されもするが、ちょっと旧世代の感覚を引きずっているような印象の男性。そろそろ家庭を築きたくて、親戚の集まりに行ったりすると子供の話をしてくるなど正直うんざりする行動をとってくる。
ユリヤがアクセルと付き合った理由は、その才能の輝きに惹かれたのだと思う。自分にはあるのか分からない、あると信じたい才能を、すでに持っている彼が羨ましく、それゆえに劣等感も覚える彼の出版記念イベントを途中で抜け出して、ユリヤは他人の結婚パーティーに紛れ込み好き放題することに。
【アイヴィン】
見知らぬ人の結婚パーティーで知り合い、意気投合した人。嘘にまみれた自己紹介をしたあと、互いにパートナーがいるので浮気にならない程度に色々なことを二人で試してみる。正直かなり引くことを二人でするのだけれど、まあお互い意識高い系のパートナーがいて憂さ晴らしというか、ぱあっとなんかやりたかったんだろう。そのまま別れるのだが、後日ユリヤが本屋で働いていると、パートナー連れのアイヴィンと再会し、二人は互いに好きなことを確信してしまう。アイヴィンは自分の職場であるコーヒーショップを伝えて去る。

ユリヤはアクセルを捨て、アイヴィンを選ぶ。
アクセルと暮らす家でキッチンのスイッチを押した途端、周囲が全て静止し、その中を一人晴れ晴れとした表情でアイヴィンの元へと駆けていくところ(ポスターにもなっている)はとても美しい印象的なシーンだ。恋心でユリヤはキラキラしている。ただこれもユリヤが今まで繰り返してきた進路変更となんら変わらない。ときめきは最初だけで、持続しない。
ユリヤがアクセルに別れを切り出すところがリアル。アクセルが何を言おうが、もうユリヤの耳には届かない。だって気持ちはアイヴィンのところにあるから。もう本当に終わったのだとアクセルが受け入れた後にもう一度寝てしまうのってありそう。
ただユリヤがアイヴィンを選んだ理由は、楽だから、だったのだと思う。何も持っていないアイヴィンはアクセルのように自分に劣等感を感じさせない。心の平穏が保てる。結婚も言いださないし、すごく楽。しかしながらユリヤが妊娠すると途端にアイヴィンはおたおたし、優柔不断さや甲斐性なしなところなどマイナス面がクローズアップされる。
ユリヤ自身も母親になる覚悟ができないでいるとき、アクセルが癌で余命いくばくもないことを知る。

病室を訪れると、アクセルはヘッドフォンで音楽を聴きながら激しくエアードラムに没頭していた。このアクセルの姿が切ない。二人の間にはかつて恋があり、そしてそれは通り抜けていって今や何か別の絆になっている。友達ではなくて、でも互いのことはわかっているからなんでも話すことができる。ユリヤは「自分はいい母親になれるだろうか」とアクセルに問うのだけれど、残酷だなあと感じた。あんなに自分との子供を欲しがった相手に、別の男との子供の話をする。しかしこれをやってしまうのがユリヤなのだろう。でもなんて言ってほしいわけ?自分の罪悪感を軽くしたいがためにパートナーに浮気の懺悔する人ってのが私は心底受け付けないのだけれど、ちょっとそれを思い出した。

お気に入りの台詞

「じゃあ落ち着いて50までコーヒー淹れてれば?」
これはユリヤがアイヴィンに投げつけた台詞。前後忘れてしまった(感想メモなくしたからね)んだけど、子供ができてじゃあどうするって話になったときじゃなかったかしら。なんだかんだ言ってぐだぐだするだけのアイヴィンに痺れを切らして。そもそもアイヴィンのようなぬぼーっとした顔の人が好きではないので、アクセルのほうがずっといいじゃんと思いつつ見ていたのだけれど、ここでこんな言葉を吐き捨ててしまうユリヤってのも相当だな、と思った。本作の宣伝文句に「最悪な私」に「最高の共感」とかあったけど、ないな…。

以下は病室でのアクセルとの会話から。
「彼と別れるの?君は行き詰まると別れるから」
これグサッときますね。自分の中に原因を見出さずに、他者、もしくは世界のせいにしてそこから逃げてきたユリヤの行動パターンをわかっていらっしゃる。
「生きたい。僕のアパートで。君と一緒に」
別れてもアクセルにとってユリヤは1番。こういう存在を持てたことがしあわせだと思えたらよいのでしょうか。
「君は最高だ。君のテキトーなところがいいんだ」
こんなまるごとの自分を肯定してくれる人なんていないよー。だからもうユリヤはアクセルにしておいたらよかったんだよー。

そしてラスト

結局、ユリヤは流産する。このときの表情がなんとも言えない。
それにしてもシャワーの際に流血って描き方がステレオタイプじゃないかと思ったり。どうでもいいけど。
ユリヤはアイヴィンと別れ、時が経ちカメラマンとして仕事をしている。窓の外にベビーカーを押すアイヴィンと連れの姿を見かけ、しばし眺める。アイヴィンってそういう人なんだろうなあと思ったけど、世間の夫婦なんてみんなこんなものなのかもしれないわ(偏見)。そのとき付き合っていた人となんとなく結婚する時期だし結婚してもいいかなと思ったから家族になりましたっていう感じ?
だから、もがいたりいろいろあったけど私は元気です、って感じの終わり方がすがすがしかった。だってそれはユリヤ自身の物差しによる幸せの形だったから。