イニシェリン島の精霊「いい人なんだけど、退屈」

1923年、アイルランドの孤島イニシェリン島が舞台。この時期本土は内戦のさ中。島民全員が顔見知りの閉塞感溢れる島で気のいい男パードリックはある日突然友人コルムから絶交される。理由も分からず近寄ったら自分の指を切り落とすぞと脅され困惑する…という物語。

©2022 20th Century Studios.

コリン・ファレルの下がり眉毛が最高にはまった。コリン・ファレルはベルギーのブルージュが舞台となった『ヒットマンズ・レクイエム』の印象が強くてあれ以来だなあなどと思っていたら、マーティン・マクドナー監督もブレンダン・グリーソンも一緒だったんだね。

退屈は罪か

鑑賞直後はいい人パードリックが一方的に絶交されて取り返しのつかないところまで突き進んでしまうことに理不尽さを抱いたりしたものだが、一日経って自分をコルムの立場に置き換えて見たら物語が途端に反転して見えたという印象的な作品。
パードリックは退屈な人間である。退屈さは罪ではない。だが、それを「俺、いい奴だよな?」と言うことで気にしない、その鈍さが罪なのだ。そんな奴に自分の時間が、余生が食い潰されていくのは心底うんざりする。いい奴だからと言って、なぜ自分がその相手を引き受けなければならないのか。慈善事業じゃあるまいし。そして自分が絶縁を宣言したというその行動で、悪いことをしたわけでもない相手が悲しそうな顔をするのが、また自分の罪悪感を刺激する。指を切り捨てることで、あいこだと言うのも頷ける。

指を切り落とす

音楽と向き合う時間を確保したくてパードリックを切り捨てたはずなのに、指を切り落とすことで演奏できなくしてしまうのは本末転倒のように思えるけれど、これで自分への言い訳にもなるのかな、とも思う。

バリー・コーガンの醸し出す不穏さは一級品

少々おつむの弱い島の青年ドミニクを演じるのはバリー・コーガン。『聖なる鹿殺し』で彼を認識してから、彼の持つ不穏な存在感に搦めとられている。怖くてもスクリーンに彼が映ると目が離せなくなるのだ。本作でも本領発揮。

二つの死とは誰の死を予言したのだったか

パードリックには出来の良い妹シボーンがいて、日常を頼り切っている。兄妹は狭い部屋で一緒に寝ている。彼女は島の閉塞感にうんざりしている。パードリックは「お前と同じくらい賢いよな?」とか言うんだけど、それに対し「けっ」て顔をしたりも。そういうところが鈍いんだよって代わりに言ってやりたくなる。シボーンは警官に嫌がらせされたり、郵便取り扱いの女に手紙を盗み見られたり、踏んだり蹴ったりの日常に加え、ドミニクから好意を寄せられたり、本当に絶望しかない暮らし。だから予言者の言葉は最初シボーンを指すの?と不安になったけれど、彼女は島を出ていく。正解!よかったーと心底ほっとする。
で、代わりに?ドミニクが死ぬ。あれは自殺だったのではないかな。

鑑賞後、いろいろと考えるのが面白い作品だった。結構早く公開が終わってしまったけれど、日本ではあんまり受けないだろうなとは思う。