ふたつの部屋、ふたりの暮らし「誰も気にしないわ、年寄りのレズビアンなんて」

南仏。ニナとマドレーヌは70代の女性カップル。
同じアパルトマンのお向かいで、互いの部屋を行き来して暮らしている。
二人は住んでいる部屋を売り、そのお金でローマに移住することを秘かに計画している。
ニナは独身だが、マドレーヌは未亡人。なかなか子どもたちに言い出せず、喧嘩になる。
その後マドレーヌは脳梗塞を起こし、話せず体も不自由になってしまう…。

ⒸPAPRIKA FILMS/TARANTULA/ARTEMIS PRODUCTIONS 2019

原題はDeuxでフランス語の2、二人とか。対称という意味も込められているそう。
老齢の女性同士の恋人たちの話って、考えてみると今までなかったな。見たいという層がすぐには思い浮かばないので、商業的にもずいぶんとチャレンジングだったのではないかと。二人が適役で、特に言葉を話せなくなってからの目の動きだけで全てを表現するマルティーヌ・シュヴァリエ(マドレーヌ
には圧倒される。

内容について少し。
二人のつきあいは旅先で出会ってから30年くらい続いている。お互いをどんなに想い合っていても、その行動力は対照的だ。

「誰も気にしないわ、年寄りのレズビアンなんて」というニナの捨て台詞に象徴される。
ニナは外国人(ドイツ人)で旅行関係の仕事に就いていて独身、一方でマドレーヌは不幸な結婚生活だったとはいえ未亡人で子供たち家族も近くに居る。地方都市で他人の目を気にしながらの中で長年形成されてしまった自分の行動は良くないのではないかという刷り込みからはなかなか抜け出せないのは当然だろう。
ただ言い出せない気持ちは分かるが、「もう何度目よ」という喧嘩の時のニナの台詞からも分かるように、この人一生決断しないつもりなんじゃないの?という突き放したような目でスクリーンのマドレーヌを見てしまった。分かるけどね、分かるけど売り手もついてるのにこのグダグダはないでしょう、と。

喧嘩したままでマドレーヌが倒れてしまい、自分を責めるニナが痛々しい。そしてカミングアウトしていないから二人の関係は誰も知らない故に、傍についていることもできない。
そうなんだよなあ。家族じゃないという高い高い壁が二人の間に立ちはだかってしまう。一番近いはずの二人なのに。本当どうにかならないのかな。
ただそばに居たいニナの行動はどんどんエスカレートしていくのがこわい。不法侵入に始まり、車を叩き壊して介護士をやめさせたり、他人の家にブロックを投げ込んだり。情熱的な人と言えばそうなんでしょうけど、家族だったら引き離したくもなる。

二人の恋を結果的に邪魔することになる娘も印象的。
自分が生まれたのだから、自分の母親は同性愛者ではない、受け入れられない、そんなの絶対認めない、という頑なな姿勢。母親の幸せを思っているけれど、自分の思う形ではないと壊しにかかるというエゴがね。

あと自分も無意識のうちに、老人は恋をしないとか思っていたなあと気づかされた。なんとなく年をとるとみんなぽたぽた焼のおばあさんみたいになるんだと。子どもの頃月曜ドラマランドの『意地悪ばあさん』を見て、こんなむちゃくちゃやるんだ、でもこれじいさんだからね(青島幸男)とか思ってたのをなんとなく思い出した。

ラスト、金をすべて奪われがらんとした部屋で、二人は手を取り合ってダンスを踊る。何の解決にもならなかった。ただ二人でいたいだけなのに、家族という形以外許されないなんて。『現代思想』でも色々な恋愛の形があることが特集されていたけれど、なのに随分まだ窮屈だね。マドレーヌが打ち明けていたら少しはよかったのか。でもそもそも誰かに許しを乞うものなのだろうか。人は決定的な打撃を受けないとと決断できないものなんだろうか。そして池に浮かんだ子どもの姿はなんの象徴だったんだろう、などと鑑賞後次から次へといろいろなことが過ぎる作品。