CLOSE/クロース「僕が突き放したから」
ベルギー。花き農家の末っ子レオと幼馴染のレミは兄弟のように育ち、24時間べったりと過ごすくらいに仲が良い。13歳になって中学校に上がると、クラスメートはその親密さに驚き、からかってくる。初めは言い返していたレオだったが、誤解されるのが嫌で徐々にレミと距離を取るようになり…。
日本版チラシに『永遠を壊したのは、僕』とあってつらい展開となるのは分かっていたのだけど、再生を描くともあったので、それならばと観に行く。
原題 CLOSE
親密な、という意味。
取り繕うことに気を取られ、大事なものを削られていく
レオとレミはいつも二人くっついて犬っころのようにじゃれ合って、そこら辺を駆け回っている。互いの家族も温かく見守っている。レオは兄やレミの母に対してもぺったりくっついたりしているので親しい人との距離感はかなり近いのが当たり前だったのだろう。
レミは一人っ子だけれど、それを見て育っているのだから距離感が同じであっても不思議はない。
レオは負けん気の強そうな、けれど末っ子ならではの甘えん坊なところがある少年。そしてとても美しい顔をしている。女の子だと言われてもすんなり通るような中性的な容貌。
そしてレオの片割れであるレミは、常に口元に微笑を湛えている穏やかな少年。愛されて育ってきたのだろうなと伝わってくる優しい表情をしている。愛しか受け取ってこなかったから邪気がないというか、本当誰も汚してくれるなとこちらが身を挺して守りたくなるような人で、こういう人、老若男女関係なくたまに出会う。
レミからは繊細な一方、揺るがない部分を強く感じる。オーボエ奏者となる夢とかレオとか、自分にとっての優先順位がはっきりしているから、他の人に何を言われてもどうでもいいって感じ。
二人の間に流れている時間でとても好きだったシーンがある。
あるときオーボエの練習をしているレミのそばでごろごろしていたレオは言うのだ。
「僕がマネージャーになるよ。一緒に全国を回るんだ」
思い返すと切ない。二人が幸せだったときの一場面だから。
大切な人との思い出って、こういうふとした日常の風景だったりするね。
「付き合ってないよ。僕らは親友だ」
中学にあがると二人の仲の良さは、新しい級友たちの目を引いてしまう。レオもレミも美しい容貌だったばっかりに。
色恋に目覚める年ごろの周りの子たちにとっては、ますますちょっかい出したくなったのではないか。これがもし不細工な二人だったら、そんなんで恋とかありえないでしょ気持ち悪い、と話題にも上らないでしょう。
ませている女子たちは「二人は付き合ってるの?」とくすくす笑いながら(こういうのあったねー。なんであの人たちってああなの?万国共通なのか)質問してくる。
レオは憮然としてきっぱり否定するのだが、周りの男子までもが薄ら笑いを浮かべている。本当こういうのイヤ。
レミは静かに受け流しているようで、たぶんそんな人たちのことはどうでもよいのだろう。だって大事なのはレオだし。自分もレミのようなスタンスを取るな。他人は所詮自分の世界を揺るがすことはできないと思っている。
でもレオは他人からの視線を気にし出し、レミと距離を取ろうとする。実際に恋愛めいた気持ちがあったから隠そうとしたのかどうかは分からない。たぶん本人も名前をつけて意識する前の、ただ親密な感情があったというだけでいいのではないかと思う。
レミにとっては、レオの拒絶は青天の霹靂だった。外部に対して強靭であるということは、つまり自分の内部を支えるものに絶大の信頼を置いているからであって、他人に何を言われても平気に見えたレミは、自身を構成する重要な要素でもあるレオの不在に耐えられず心折れてしまう。塞ぎがちになったレミは思い詰める。
二人の間にあった親密な関係は、他者が名づけようと、つまり枠にはめようとしたせいで無残にも踏み荒らされてしまう。名づける必要などなかったのに!
花き農家であるレオの家の花畑が、咲き誇る花の中を無邪気に走り回っていた二人の姿と、花が摘み取られならされた畑の土が、対照的でいつまでも目の裏に浮かぶ。
再生なのだろうか
レオの葛藤を前に、この頃大なり小なり感じた人間関係の苦さや息苦しさを思い出して重ねていた観客も多かったのじゃなかろうか。私たち、もうずいぶん遠くまで来ちゃったね、いろんなことがあったよねぇ…と見ず知らずの隣席の人たちと肩を叩きあって互いに健闘を称え合いたい感覚。
そして最も感情移入したのは実は親世代、レミの父親だったかもしれない。それはレミの死後、久しぶりに両家で囲む夕食の食卓で、レオの兄が休みの計画を話しているシーン。試験の後は彼女と一年くらい旅に出ようかと思うんだと話すのを聞いていて、隣でレミの父がすすり泣きを始める。同じようにあったはずの息子の未来。永遠に損なわれてしまったという事実。レミの母も思わず席を外す。
後半、レミの母はレオが事情を知っているのではないかと何度も聞こうとするのだけれど、レオはその度にはぐらかす。そしてラスト、レオはとうとう二人きりの車中で打ち明ける。
「僕が原因なんだ。僕のせいだ。僕が突き放したから」
レミの母は車から降りるように言う。森の中を駆け出していくレオを、我に返って追いかける。棒切れを手に振りかざしたレオを抱き寄せると、二人は泣く。後日、レミの家に行ってみると引っ越した後だった。
ラスト、花畑の中を振り返ったレオの表情は色々に読める。でもあれは再生の表情なのだろうか?
もっとはっきりした再生の形が(それも何か今までの映画にはなかったような新しい形が)提示されるのだと思っていたので、正直肩透かしを食った感じで終わった。
「再生」とかそれこそそんな名付けなどどうでもよいのかもしれない。これからの人生、レオはずっとレミを考えながら生きていく。もう昔みたいに笑えないし、無邪気に笑い合う相手は自分のせいでもういない。でもすべてを引き受けて生きていくしかない。だって時間は巻き戻せないのだから。
そして言葉が足りないということが引き起こした数々の事柄について考えながら帰路についた。